初めて裁判を傍聴してみて―誰かのために変わること

私は都内の大学に通う平凡な文系学生である。 マザーハウスでボランティアとして関わり始めて数ヶ月が経ち、今回、五十嵐理事長がある刑事裁判での情状証人に立つということで、初めて刑事裁判を傍聴させてもらった。 私なりの感想をまとめてみる。

その裁判は、被告人の仮釈放中に行われた3件の窃盗に関する裁判である。
警察官2名に挟まれて、証言台をじっと見つめながら、うつむいて座る被告人のAさん。 何を考えているのだろう。証言台に立って何を話すかイメージトレーニングとかしているのだろうか。 警察官2名の退屈そうな表情とは対照的に、Aさんの真剣な表情と緊張した雰囲気が伝わってきた。

裁判が始まる。 検察側から起訴状が読み上げられ、事件の事実関係・証拠を確認していく。 続いて弁護人側からも、時系列に沿って事実確認をしていき、自らが犯した罪を今はどう思っているか、今後どのように変わっていきたいかが問われ、Aさんは緊張のせいか細々とした声で、慎重に言葉を選ぶように、しかし、淡々と答えていた。

さらに検察側から、いわゆる”いじわるな”質問が続く。今回の起訴内容以外にも窃盗が常習になっていたのではないか、これまでも再犯してきたのだから、また再犯する可能性が高いので刑を重くするべきであるとの主張がなされた。

考えてみれば、再犯を繰り返しているのだから、また再犯するに違いないなどと主張するのは、刑務所では更生できないことを自ら暴露するようなものである。 Aさんを更生させられなかった刑務所にどのような問題があったのか、なぜAさんは変われなかったのか、そのことの問題と向き合う必要があるのではないか。

弁護人側からは、彼が今度こそ変わろうとしていることを主張した。その証拠は被害者に送った手紙、親に初めて手紙を送ったことなどであり、犯罪の確固たる物的証拠に比べると、脆く弱い証拠に感じられた。 ここから先は、Aさんを信じてあげられるかどうかという領域になってしまう。

そして、五十嵐さんが情状証人に立つ。これまでは不安げで、自信のない小さな声に誰もが耳をそばだてて聞いていた法廷の空気が、ガラリと変わる堂々たる声が響く。

「マザーハウスでは、これまで何人もの人が変わってきた。そのことを証拠に、Aさんも絶対変われるはずである」

という、力強い主張だった。

そこで私は気づいたことがある。 マザーハウスに来る人たちはそれぞれ、自分の罪と向き合い、周りに支えられながらも、本人の強い意思によって少しずつ回復し、社会復帰し、人生を取り戻しているが、それは全て彼らのためであると思っていた。

しかし、彼らが変わったことが証拠となって、Aさんが変わるチャンスを作ることにつながろうとしている。マザーハウスに来て回復し変わることは、自身のためだけでなく、別の誰かが変わることを後押しすることにもつながっていたのだ。

刑務所を出ても再犯に至ってしまったのだから、今度は違う方法でAさんが変わる方法を考えるべきである。このように主張することは何かおかしいだろうか。 裁判官からは、Aさんが友人宅でモノを盗んだことについて、

「あなたにとって友人とは何ですか?」

という質問がなされた。Aさんは言葉に詰まっていた。 もし、私がAさんの立場であの証言台に立っていたら、どのように答弁することができただろう。

被害者たる友人に謝罪の手紙を送っても、受け取ってもらえなかったという。もし、私が友人で、モノを盗まれたら、赦すことができるだろうか。

マザーハウスとAさんの関係はもう始まっている。 全力で応援していきたい。

(ペンネーム:dada)

※情状証人とは…
刑事裁判で被告人の量刑を定めるにあたって酌むべき事情を述べるために公判廷に出廷する証人を言います。刑事裁判では弁護側と検察側のどちら側にも情状証人が付くことがあります(刑事事件弁護士ナビより)。